元ドロンズの大島直也が離婚・借金・親の介護と試練である私生活を語る。「進め!電波少年」でブレイクもその後は暗転。
ドロンズ大島-芸能界から「介護離職」
「一昨年末、突然、母から電話が来て『病院の検査に引っ掛かったから来てくれないか』と。それで母の病院通いに付き添って、何回目かの検査でとうとう“ステージ4”、末期の肺がんと診断されました。すでに腰骨に転移していました。別居していた僕は、母と一緒に暮らすことにしたんです。当初は、母も僕と買い物ができるほど元気だったんですが、だんだんできることが少なくなって、母の精神のバランスが崩れていきました。がんになったショックから“反応性うつ病”になって……。あのころがいちばんきつかった。ある日の朝、『何時に帰って来るの?』と聞かれました。『遅くなるよ』と言ったら『帰ってきたら、死んでるかもしれないから』って。僕はブチ切れて『そんなこと言われてどんな気持ちになるかわかってんの!』と母に顔を近づけて怒鳴り、手は出せないから代わりに床をドンと叩いたりしてしまった。後から、もっと母の気持ちを理解してあげればよかったと自己嫌悪に陥りましたが……」(大島・以下同)
母親は、感情の波が激しくなっただけでなく、次第に体の痛みで起き上がることもできなくなっていった。
「入院するレベルと言われましたが、病院に空きがなくて。でも、もう自分でトイレも行けないし、おむつを自分でずらしちゃうんです。僕におむつを替えられるのが嫌だったのかもしれません。部屋は糞尿まみれになって、家に帰ると便の臭いがツーンときて。これが毎日続くのかと気持ちが重くなりました」
母親の年金や、兄からの援助はあったが、母の介護で働けない分、増えたのは借金の額。現在は「だいぶ減った」と言うが、まだ200万円ほど残っているという。そんなさなかの今年4月、母の容体が急変する。
「5月に、“余命3カ月”と宣告されて覚悟しました。でも、それでやさしくなれたというか、一緒にいる時間を大切にしようと、2日に1回は施設まで会いに行っていました。会話もだんだんできなくなり、寝ている母の手を握っていました。どうしたら喜んでもらえるかと、おふくろの誕生日に僕の子どもを連れていったり。まだ、元気なころの母は介護士さんに『知ってる? うちの息子』と自慢してたらしい。それを聞いて、うれしかったですね。亡くなる間際も、『買い物に行かなきゃ。直也のご飯作らなきゃ』って。こんな状態でもまだ僕のことを心配している……切なかったです」
7月に入り、母は水も飲めない状態に。大島は「葬儀屋さんを探してください」と施設から言われてしまう。
「めちゃくちゃつらかったですね。精神的におかしくなりました。葬式の準備をしながら、母の面倒を見ている矛盾。まるで2人の自分がいるようで、引き裂かれる思いでした」
7月8日、危篤の知らせが来た大島は、遠くから駆けつけた姉と共に施設の母の元へ。
「数日間、施設に寝泊まりし、たまたま廊下で電話して部屋に戻ったら、もう息を引き取っていました」
いま、大島は“介護離職”してしまった芸能界の仕事に、少しずつ戻りつつあるという。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171027-00010011-jisin-ent
電波少年の頃のドロンズ大島-動画
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親の介護はいずれ誰しもありうる
ガン患者の精神状態も悪くなりますが、やはり充分なお金が無い限り看護する側の精神状態もおかしくなります。
最愛の母が亡くなられた事は悲しいですが、お互いが肉体的にも心理的にも楽になれたと思い今後の仕事を頑張ってください
出来事。
辛いんだろうなぁ。
ちょっと今切実に思った…。
(´・ω・`)
どうしたらいいんだろうね。
介護を仕事にしたい気持ち十分伝わったし
他人事違うぶん余計めっちゃ参考になった。こーゆーニュースはええなぁ。。
もしそうなったらどうしよう…。
その時自分がちゃんと向き合えるか不安になります…。
子供にも、同じ思いをさせたくないとも思う。
今はまだあまり実感はないが、いつかは必ず誰しもに降りかかる問題だと思う。
姉妹で2人とも家を出て近くにいないし…
切実に考えさせられる問題。
看護、介護、終わりが見えない毎日。
とても、大変でしたね。
経験した人でないと、決して分からないと思います。
肉体的、精神的、金銭的に、介護する側の負担が大き過ぎて、地獄の日々ですね。他に協力しくれる人がいると、少しは精神的に違ってきます。
これから、ますます高齢化が進み
介護する側の人手が足りなくなると思います。
もっと、行政は医療や介護に積極的に取り組むべきだと思います。
無駄な税金は使わず、福祉に力を入れて欲しいです。
大島さん、お疲れ様でした。
やはり最後はお金なんです
お金がないと施設にも入れない
葬儀だって大金がいる
やっと落ち着いた頃に49日
翌年には新盆、一周忌
さらには翌年に三回忌
最後はお金がモノを言うんです
親が手厚く保険に入っていた事に感謝しました
でも、自分で選んだ道だろうと、父や兄弟から感謝の言葉はなし。
むしろ、仕事をたまに休んで顔を出しただけなのに、本人たちは看護したつもりになってるのが、未だにモヤモヤ。
私が仕事を辞めなければ、どうなっていたか一度冷静に考えて欲しい。
去年父を末期癌で亡くしました。
看病してる最初の方は、今まで育ててもらった分やれる事は全部してあげようと思ってたのですが、あまりの父の頑固さとわがままさに、
最後の方はもう知らんわって感じになって、
嫌々病院に通ってました。
親が年を取ったら子供が親の面倒を見るもんだと昔は漠然と思ってましたが、自分にも仕事や家族もいるしその時になるとけっこう難しいもんだなぁと思いました。
今自分はアラフォーで子供がいないので、このまま夫か自分が先にいなくなったとしても、
どうやって死んでいくのかなぁ、お墓は誰が入れてくれるのかなぁとかいう不安もあります。
いろいろそれぞれ大変ですね。。
金銭的援助が厳しかったら、介護の手伝いを多少でもしてあげて(してたのかもしれないけど)、彼の精神的、肉体的負担を少しでも軽くしてあげることは出来なかったのかしら。
皆もしも、いつかを忘れて生活している。
決して忘れていてはいけない事を人間は意識から外してストレスを回避している。
でも誰かが貴重な体験を話してくれると、暫しその事を考える。
そしてその暫しの時間がとても有意義な時間。
語ってくれた事をありがたく思います。
涙でそう…
私は両親の借金1500万円を返済している最中、母が脳卒中。入院費などすべてで300万ほどかかりました。借金して返しての繰り返しの人生。ようやく解放されたと思ったら父が肝硬変で働けないから仕送りがほしい。と…それも母が25万いるわ毎月。という始末。
最初は頑張って給料全部渡していました。借金もしながら。でも、とうとう私キレてしまい、今はお金のいるときしか連絡がないです。
そんな親の面倒見れないです。
たまに呼び出しあり、勤務中に何回か
抜け出して病院に行ったことがあったので
すが、上司より今後控えるように注意
されました。勤務中なので抜け出すのは
良くないと思うのですが、ほっとくわけに
いかず・・・。最近社内の立場がヤバい
です。正直介護と仕事の両立は難しい
決して人ごとではない。自分も仕事としてではなく、近い将来親の介護をする日が訪れると思いますが、大島さんのように在宅で介護をされた方のお話をたくさん聞いて、心の備えをしておこうと思いました。
父が亡くなった後は、母のお世話になる施設を探し回り。入居してすぐ腎炎、肺炎で入退院を繰り返し。義父は数年前に他界しているので現在空き家が2件。忙しかった。。亡くなった後のすべての事務処理もまだ終わっていないけれどなんだか悲しいのは当たり前だけれど言葉には表せない様々な感情が、グルグルしている。
あの日々は何だったのか。
生きるって何だろう。
かなり高い確率でやってくる。
うちも両親とも癌で死亡、病院のベッドで。
変な言い方だが、当然来るべきものが来たという感覚でしかなかった。
不慮の死の辛さは計り知れないが、独立した子供として、親の死まで道のりは粛々と過ごせばいい。
自分も子供が独立するまで育て上げたら、お先に逝かせてもらいます。
母は姑(私からは祖母)の介護がきっかけで介護施設で働くようになった。介護の時は「おばあちゃんの首を絞めたい」って何度も思ったらしい。足を骨折しても介護をしないといけなかった母の辛さは、この記事を読んで分かる。母は「私達の世話にならず、ぽっくり死にたい」って言ってるけど難しいと思う。
見送りました。
いろんなことがつらかったけど、
見送りできてよかったです。
まあ、それも終わったからいえますが。
介護期間が長かったこともあり、
もう、私は元の仕事に戻れないです。
体もボロボロだし、前のようには
仕事ができないし。
でも、体を治しながら、働ける場所が
あれば働きたいです。
戻れる場所があるのって
うらやましいです。
お疲れ様でした。
介護度で入れる施設も変わる為、何かと大変ですが、最近やっと入れる施設も決まり、一時期よりは落ち着けそうです。
とは言え、施設に入ってある程度様子を見ないと再就職活動は厳しいかな。
お互いが辛くても耐えてるのが伝わってくる。
普通に涙の出る話ですね。
親は大切にせなあかんな、改めて思う記事でした。
泣けますね。
1日も早く、癌が風邪のように治る時が来たらと考えます
国は在宅介護を押し付けようとしていますが、往診してくれる医師はほとんどいないし、普段の生活を助けてくれるようなサービスも少ない。ケアマネージャーも当たり外れが大きく、中にはこっちが積極的に動かないと何もしてくれない人もいます。
自分の両親はこれからやってきます。
大島さん凄いですね。きっと親としては幸せだったような気がします。
自分もその時が来ないとわからないですが、大事にして行きたいです。
自分は同じように献身的にできるかな。多分できないと思う。
介護はプロがやる時代になってほしい。
患者さんが一番辛いのかもしれませんが
介護と直面している方のサポートというか
必要ですよね
一人で頑張らなくていいような
環境が必須です
この辛さは本人じゃないと解らない
失礼たが、お互いポックリの方が都合がいいのだが、神様はそれを許してくれなく、大概介護という都合が悪い方に向かわせるんですよね…
今は母親の亡くした辛さもあるでしょうが、徐々に芸能界に復帰してほしい!
待ってます!
自分はどうなるかわからない
もっと簡単に人は死ねないのかね。なんで病気で死ぬのが多いんだろう。
眠るように、電池が切れるみたいに死ねるのなら死は怖くない。
痛い思いしたり、薬で苦しんで死にたくはないな・・・
介護おつかれさまでした。
お悔やみ申し上げます。
絶対に介護のために仕事やめたらダメ
親に何かしてやりたいと思ったならそれは介護ではなく元気なうちにたくさん会ってたくさん楽しい思い出を作る事だと思う。
仕事やめて自分の基盤が狂ったら下手したらまじで共倒れする。生きていく人間の生活が大事
遺産は息子、介護は娘って考えてる母。
散々弟を可愛がり、私からはバイト代すら絞り取った母。
自分が体壊したときは私を頼る母。
介護が必要になったとき、見放してやろうと思ってる。
普通の親子関係でも難しいだろう介護、私には憎しみしか生まれないと思う。
祖父母の介護を母がしてるのを10年以上みて育ちました。
元気だった頃とは違う会話にならない会話をする祖父母、おしっこ垂れ流しながら歩いた廊下、お風呂場で本人の意思と関係なく出てしまった便で泣きそうな祖母。
いずれ自分もする時が来るんだと思ってます。
でも自分の子供たちにあの姿は見せたくないとも思います。